国道5号余市札幌間 塩谷・笠岩トンネル旧道 その5
前回
5号トンネル
とりあえず入る。
千と千尋を見た翌日だったのでちょっと躊躇う。誘うかのように穴開いてるし。
中は道路関係の標識その他の置き場になっていた。
路面は砂が積もっているが、かつてはアスファルト舗装だったらしい。
とにかく涼しい。外は25度を超えているのに、トンネル内は15度程度しかなさそうで、少し微睡みさえ覚える。しかしこの内部、まさか煉瓦じゃあるまいな。事前に調べた分ではコンクリート巻立だったはずだが。昭和製のトンネルなので煉瓦模様のコンクリということにしておく。
小樽側坑口には土砂が流れ込んでいる。30m程度の明かり区間を抜けると4号トンネルがあるのだが
無理っぽい。
写真真ん中に4号トンネルの暗がりが写っている。さらに、肉眼では4号トンネルの貫通も確認できた。だが、写真ではわからないがこの崩落は斜度60度以上はあり、しかも相当濃い藪で躊躇う。冬明けにもう一度来てみるか。
振り返ると天井からつらら。いわゆるコンクリート鍾乳石だろうが、廃止から半世紀以上経つのに短すぎないか。一説には年間40cm以上伸びるらしいが、日本海の風に折られているとでもいうのか。
左には奇岩・笠岩。現道からは絶対に見えないが、笠岩トンネルの名前に残る。笠岩の横にあるのは塩谷トンネルだけど。
さて、4号トンネルにいけないので、さっきの塩谷トンネルのカーブの答え合わせ。引用は森畑=及川=熊谷「塩谷・笠岩トンネルの施工について」より。
さっきのカーブを直進すると、4号トンネルに当たる。この時点ですでに、1~3号トンネルを含む区間は先行して廃止されていたようだ。
工事中はこうなっていたわけだ。トンネル断面の大きさの違いがよくわかる。
塩谷トンネルと2~5号トンネルの変遷はおそらく次の通り。赤が廃止区間。
あのカーブはかつての3号トンネルと4号トンネルの間の明かり区間にあたる。ただし崩落の可能性が大きかったのだろう、覆工にして一つの「塩谷トンネル」に仕立て上げたようだ。
なぜ塩谷トンネルが二回に分けて造られたかはわからなかったが、1号トンネルの手前が完全に崩れてなくなっていたことと関係があるかもしれない。
続く
国道5号余市札幌間 塩谷・笠岩トンネル旧道 その4
前回
現道・塩谷トンネル
随分とにぎやかな現道トンネル前。
順に、①「すべりやすい」標識、②トンネル情報板、③「トンネル内カーブあり」の電光掲示板、④「駐車禁止」「ここまで」標識、⑤「最高速度」標識(50km/h)、⑥「トンネル内歩行者自転車注意」の看板、⑦「追突危険」の看板、⑧「スリップ注意 路面凍結」の看板、⑨「トンネル内カーブ有り」の看板、⑩トンネル内の非常電話・消火設備の案内、⑪「高さ制限」標識(4.3m)+通行注意、⑫「延長541m」、⑬信号、⑭「塩谷隧道」の扁額。
こんな量を運転中にすべて理解できるだろうか。実際に重要なのは、トンネル内カーブ有りと50km/h制限くらいだろうが。
さて、トンネルというのはふつう、真っ直ぐ掘るものである。通常であればそれが一番安上がりだからだ。つまり、トンネル内にカーブがあるというのはイレギュラーである。さらに、最近の高規格道路ならまだしも、この塩谷トンネルは昭和41年の完成。このようなトンネルのカーブには、何か事情があるのである。
右に見える奥の黒い部分が本来のトンネル内面であろう。他は後年の補修か。おかげで歩道は狭い。今回初めてトンネル内で他の自転車とすれ違ったが、双方降りて自転車を後ろから押してもギリギリだった。
さて、肝心のカーブ。
この少し手前には、天井からぶら下がった電光掲示板もカーブを案内している。結構きついカーブになっている。
カーブ外側には、このように窓のようなものが9つ並んでいる。
1つを覗いてみると、
外の光が差し込んでいるのがわかる。つまり、このカーブの部分はトンネルではない。どういうことかは次回に。
塩谷トンネル出口。ゆるい右カーブですぐに次の笠岩トンネルに続くが、車で通るとトンネル出口であることも相まって危険な箇所。赤矢印の方向に広場がある。
塩谷トンネル余市側坑口。こちらにも標識はあるが、小樽側ほどではない。
そして、広場に入ると、
新旧トンネルが並んで見える。
続く
国道5号余市札幌間 塩谷・笠岩トンネル旧道 その3
前回
左の崖を一段上がったところにトンネルの坑口が見えた。これが旧道の七本のトンネルのうち最も札幌側の「1号トンネル」。
でもこれダメそうだ。登れそうな場所がない。
というのも、この辺りは塩谷層と名付けられた凝灰岩層で、触るだけでボロボロ崩れる地質であり、手足をかけられる場所がない。そのうえ、オーバーハングしている崖を素手で登るような技術は持ち合わせていない。
路面までは垂直に4mほどだろうが、一般人にはたどり着けそうもない。
トンネル坑口から左にかけて、駒止が6個ほど現存している。
崖に張り付いて最も近づいたところで撮った写真。内部が無事なのかどうかすらわからなかった。
たどり着けないものは仕方がないので、反対側の坑口を目指す。1号トンネルは80m弱らしいので、その分海岸線を迂回しなければいけない。
あー無理だな。80mというと、左の小さな浜を過ぎてその先の小さな岬を回り込まなければいけないだろうが、その岬に道が見えない。岬には何か人工的な台があるのは見えるが、それが何なのかはわからない。どうするか。
カン・・・カンカン
撤退した。行くか行くまいか迷っていると、ちょうど次の一歩を置こうとしていた地点に、こぶし大ほどの石が2つ降ってきた。前回の写真でもわかる通り、崖の斜度は90度近いところもある。急斜面という無数の銃口から石という無数の弾丸で狙われているような場所なのだ。いつ牙を向いてくるかわからない。進める目途が立たない以上は無駄にとどまるべき場所ではない。
北朝鮮製だろうか。そんなことはないだろうが。日本海側の海岸にはいろいろ流れ着く。
ちょうど戻ってきたらしい洞窟クルーズ集団に見つからないように自転車まで戻った。現道のトンネルを経由し、残りの旧道トンネルを探しに行く。
続く
国道5号余市札幌間 塩谷・笠岩トンネル旧道 その2
前回
前回最後の信号から少し進むとこの光景になる。
右端の旧道入口は、ちょうど通過中の車に遮られて見えない。しかし、洞窟クルーズや漁港が奥にあり、舗装路が続いている。
真ん中が現在の塩谷トンネル。ここから函館市か七飯町かまでは、5号線はずっと片側一車線になる。
左に見えている穴が、塩谷トンネルと笠岩トンネルを置き換える予定の塩谷トンネル。名前が被るので新塩谷トンネルとしておく。後で見るように、塩谷トンネルは内部にカーブがあり、塩谷トンネルと笠岩トンネルの間も屈曲していて危険なので、新トンネルで安全にしようというわけだ。すでに貫通していて舗装工事中であり、2年後までにはこちらになっているだろう。
では旧道に入っていく。
いきなり1車線しかないが、現役当時からこの程度の幅しかなかったようだ。
赤い建物が洞窟クルーズの発着場らしい。そして、ゲートから先がダートとなり、その奥に漁港が現れる。
ここからは徒歩で向かう。
ゲートを越えると重要な看板が設置されている。曰く、「遊泳は」禁止らしい。泳ぐどころか足を濡らす気もないのでOK。
ん・・・
草に覆われたフェンスに、白い看板のようなものが見える気がする。
・・・判読できないので無効とする。
「立入禁止
この先危険ですので
立入りを禁止します
北海道財務局
小樽出張所」
なんて読めなかった。
路面がない
漁船の間をすり抜け、フェンスが有刺鉄線に変わったところで鉄線の隙間から反対側に入った。破壊はしていない。通ってくださいと言わんばかりに隙間があったので通り抜けただけだ。上は振り返った写真。そして下の写真は進路方向だが、
路面がない。
さて、路面はどこにあったのか。考えられるのは以下の2通り。
左は、桟橋のように海岸に橋を設けていた可能性。これなら、現在痕跡がないのは撤去したからだと説明がつく。
右は絵が下手でわかりにくいが、擁壁があり、黒線のところを走っていた路面は、擁壁ごと土砂崩れで埋もれた可能性。黒線のところに一筋の段差のようなものが見えるのはこの説の裏付けになろうか。
どちらにしてもこの段階ではわからないので先に進むことにする。
100mほど進んだところでふと上を見上げたのがこの写真。ある物が写っているのがわかるだろうか。
明らかに人為的に加工された石が並んでいる。これはおそらく「駒止」というもの。ガードレールやガードロープがなかった時代、その役目を果たしていたものだ。現在でも新設例はあるが、結構怖いと思うのは気のせいだろうか
つまり、駒止があるところが路肩だということになる。
すると、先ほど考えた可能性のうち、おそらく後者が正しいのだろう。路面は擁壁もろとも崩れた斜面に埋まってしまった可能性が高い。
桟橋説が否定されたところで、歩を進めると
ついに見えた。
続く
国道5号余市札幌間 塩谷・笠岩トンネル旧道 その1
地図
小樽市街地を抜けた国道5号は、石狩湾に沿って6のトンネルを通り余市に繋がる。小樽側から順に、砂留(すなどめ)、長橋(ながはし)、塩谷(しおや)、笠岩(かさいわ)、忍路(おしょろ)、畚部/新畚部(ふごっぺ/しんふごっぺ)。畚部/新畚部は、張碓/新張碓や新平磯/平磯と同じく、上下線で並列したトンネルを通っている。
砂留トンネルと長橋トンネルは、平成に入ってからの完成で、対応する旧道は小樽市道として現役である。どこにでもある普通の2車線道路だ。特に面白味もなさそうなので省略する。
次が塩谷トンネルと笠岩トンネルだが、これらは1966(昭和41)年竣工(若干の嘘があるが)で、下の地図の通り旧道に沢山のトンネルがある。
左が1937(昭和12)年、右が現在の地形図。左の地図に1~7まで番号を振ったが、トンネルの数に対応する。塩谷トンネルに対応する区間に5つ、笠岩トンネルに対応する区間に2つの旧トンネルがある。
これらのトンネルの名称だが、「桃内〇号トンネル」とするサイトがあったが根拠が見つけられなかった。塩谷・笠岩トンネルを施行した開発局小樽開発建設部の資料で、4~7については「〇号トンネル」という表記がされていたので、ここではそれに倣い、小樽側から順に「〇号トンネル」とする。残念ながらこれらトンネル群の竣工年は不明だが、1916(大正5)年の地図にはこの道は描かれていないことから、1916~1937の間である。個人的には、札樽間の改修に合わせた1934(昭和9)年あたりでないかと思う。
これらのトンネルの開通前の旧道は、左の地図で鉄道と絡みながら2号トンネルの南で180度カーブしている道である。現在、この道もいくつかのトンネルによって改修され、北後志東部広域農道(通称フルーツ街道)として現役である。
札幌から続いた4車線化工事の終点(右の地図で赤線が細くなるところ)である、塩谷トンネル手前の塩谷1丁目信号機からスタートする。
続く
国道5号余市札幌間 張碓峠旧道 その5(おまけ)
前回
小樽の斜度看板たち
最急勾配の20%は朝里市街地から朝里橋を渡った先の坂の頂上当たりにある。国道から山側に入る市道のごくわずかな距離。短すぎて辛さを体感する前に終わる。
それでも一気に10mほどは登るので景色はよい。
そのまま登っていくと14%が出てくる。
写真では伝わりにくいが結構長くて辛そう。この日はまだ80km以上走る予定なのでこれは登らなかった。
最急勾配タイは、色内の「磯鮨」と「たけの寿司」の間にある。直角カーブの先に100mほど続いている。半分まで登ってパス。
小樽駅前を通過ししばらくすると、余市方面に向かう国道5号は左折する。そこを曲がらずに直進すると、この19%が現れる。右の写真を撮るために止まったら、再始動できなかった。
おまけのおまけ
これだけで終わっても味気ないので、法令をすこし持ち出してみる。
これら斜度看板は、正式には「上り急勾配あり」、「下り急勾配あり」という名前である。
道路標識は、道路法45条1項に法律の根拠がある。
道路法45条1項 道路管理者は、道路の構造を保全し、又は交通の安全と円滑を図るため、必要な場所に道路標識又は区画線を設けなければならない。
で、具体的な定めは法律ではなく、内閣府と国交省の命令である、内閣府令・国土交通省令にある。
道路法45条2項 前項の道路標識及び区画線の種類、様式及び設置場所その他道路標識及び区画線に関し必要な事項は、内閣府令・国土交通省令で定める。
これを受けた内閣府と国交省の命令は、どんな看板をどこに設置するかを、文章ではなく表で規定している。
道路標識、区画線及び道路標示に関する命令2条 道路標識の種類、設置場所等は、別表第一のとおりとする。
別表第一(第二条関係)
上り急勾配あり
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(212の3)
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勾配の急な上り坂の始点の手前三十メートルから二百メートルまでの地点における左側の路端
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下り急勾配あり
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(212の4)
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勾配の急な下り坂の始点の手前三十メートルから二百メートルまでの地点における左側の路端
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さらに、どんな図案にするかも、同命令は規定している。
道路標識、区画線及び道路標示に関する命令3条 道路標識の様式は、別表第二のとおりとする。
別表第二(第三条関係)
上り急勾配あり(212の3)
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下り急勾配あり(212の4)
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さらに、看板の大きさや、柱の高さに関しても、同じ別表第二に規定されている。このような正方形の看板は「警戒標識」であるので、その規定だけを示す。
別表第二(第三条関係)
本標識板及び柱の規格
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以上をまとめると、斜度看板は一辺45cmの正方形でその中心が地上1m以上にあるものを、坂の手前30mから200mの間の左側に設置しなければならない。これにのっとっていない看板は無効である。まあ「斜度看板が無効だ!」と叫んで坂に突っ込んでもどうしようもないのだが、これが「右折禁止」や「追い越し禁止」とかだと話が変わる。無効な看板によって取り締まりを受け、それによって免停やゴールド免許喪失になった場合、行政不服審査請求や取り消し訴訟を提起できる可能性がある。走行中に看板や高さを目測できるなら試してみるのもありだろう。教唆の趣旨ではないので悪しからず。
(おまけ終わり)
つづく
国道5号余市札幌間 張碓峠旧道 その4
前回
左は1950(昭和25)年の地形図、右は現在の同じ場所。右端の張碓トンネルを抜けてから朝里市街地まで、かつての道は現在よりカーブが多かったことがわかるだろう。
現在は、小さな谷にも橋を架け、出来るだけカーブ半径の大きな道を作っているが、かつては現在の4車線分の幅を2車線でフルに使い、橋を設けず谷に沿っていた。
小樽方面車線がトンネルを抜けて最初にわたるのがこの「清風橋」。橋を避けるように左に怪しい路面が続いているが、この赤線の方が旧道敷である。
橋の先で再び現道と交差し奥に続く。
渡った先には、写真ではほとんど見えないがセンターラインも残っている。
この先でも、旧道は現道と2回交差してから合流するのだが、なぜか写真が消えてしまったのでここまで。現在、中古車の墓場になっているような場所が下った先にあるが、「40高中」の一部表記が残っている。
「札樽国道開通記念碑」。1934(昭和9)年に今の位置に国道が建設された際に、張碓トンネル小樽方坑口に設置され、4車線化工事の際に朝里方の登りが始まるところにある駐車場に移設されたらしい。碑文では4車線化工事は1998(平成10)年から始まったと書いてあるが、これは一部工区についての話で、張碓から小樽の全体としては、1980(昭和55)年頃からすでに始まっている。
朝里橋と朝里トンネル
張碓峠を下りきって朝里市街地を通過すると、小樽市街地に向かっての小さな登りが朝里橋から始まる。現在は車なら気にするほどの坂ではないが、かつてはトンネルを通していた。
朝里橋を渡り切った左側に、謎のスペースがある。現在国道が通る部分は切通で、元は山の一部だった。旧道はここに「朝里トンネル」を穿っていた。
反対側
こちら側には、トンネル出口の擁壁が残っているが、写真では見にくいか。
開発局のホームページに、朝里トンネルと旧朝里橋の写真があった。旧橋の痕跡は見つけられなかった。
平磯トンネル
小樽市街地に入る最後の段階で、平磯トンネルと新平磯トンネルを通る。
ここでも「新」のほうが古いが、拡張工事を受けたのだろう。しかし、1982年の「新平磯」にはある歩道が、1988年の「平磯」にはない。
「平磯」「新平磯」を抜けると、ようやく小樽市街地に達する。コロナで未だガラガラ。
続く