国道5号余市札幌間 張碓峠旧道 その4
前回
左は1950(昭和25)年の地形図、右は現在の同じ場所。右端の張碓トンネルを抜けてから朝里市街地まで、かつての道は現在よりカーブが多かったことがわかるだろう。
現在は、小さな谷にも橋を架け、出来るだけカーブ半径の大きな道を作っているが、かつては現在の4車線分の幅を2車線でフルに使い、橋を設けず谷に沿っていた。
小樽方面車線がトンネルを抜けて最初にわたるのがこの「清風橋」。橋を避けるように左に怪しい路面が続いているが、この赤線の方が旧道敷である。
橋の先で再び現道と交差し奥に続く。
渡った先には、写真ではほとんど見えないがセンターラインも残っている。
この先でも、旧道は現道と2回交差してから合流するのだが、なぜか写真が消えてしまったのでここまで。現在、中古車の墓場になっているような場所が下った先にあるが、「40高中」の一部表記が残っている。
「札樽国道開通記念碑」。1934(昭和9)年に今の位置に国道が建設された際に、張碓トンネル小樽方坑口に設置され、4車線化工事の際に朝里方の登りが始まるところにある駐車場に移設されたらしい。碑文では4車線化工事は1998(平成10)年から始まったと書いてあるが、これは一部工区についての話で、張碓から小樽の全体としては、1980(昭和55)年頃からすでに始まっている。
朝里橋と朝里トンネル
張碓峠を下りきって朝里市街地を通過すると、小樽市街地に向かっての小さな登りが朝里橋から始まる。現在は車なら気にするほどの坂ではないが、かつてはトンネルを通していた。
朝里橋を渡り切った左側に、謎のスペースがある。現在国道が通る部分は切通で、元は山の一部だった。旧道はここに「朝里トンネル」を穿っていた。
反対側
こちら側には、トンネル出口の擁壁が残っているが、写真では見にくいか。
開発局のホームページに、朝里トンネルと旧朝里橋の写真があった。旧橋の痕跡は見つけられなかった。
平磯トンネル
小樽市街地に入る最後の段階で、平磯トンネルと新平磯トンネルを通る。
ここでも「新」のほうが古いが、拡張工事を受けたのだろう。しかし、1982年の「新平磯」にはある歩道が、1988年の「平磯」にはない。
「平磯」「新平磯」を抜けると、ようやく小樽市街地に達する。コロナで未だガラガラ。
続く