国道5号余市札幌間 塩谷・笠岩トンネル旧道 その7

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さて、去る2021年3月に新塩谷トンネルが開通し、塩谷・笠岩の両トンネルは供用廃止となった。ということで再訪したいのは山々だが、道内のコロナの状況が中々なのでそれはそのうち追記か、回を改める形とする。

 

再訪の前に、先日小樽市総合博物館がTwitterに挙げた以下の写真たちが、どのトンネルを写したものか考えてみる。

 改めて写真だけ取り出す。(○に矢印はPC版Twitterの仕様)

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 1枚目。小学校の遠足の写真だろうか。「とんねるをでたらこんないいけしき」というからには、撮影者や被写体の児童たちは既に一つ以上トンネルをくぐってきたと考えられよう。右は絶壁なのだが、恐れを知らない子ども達だ。

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2枚目。「FIVE VIEWS OF OTARU SUBURBS (小樽郊外)磯の香り鼻をつく塩谷海岸 (奇岩笠岩)」とのキャプション付き。奥に3つトンネルが見える。

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3枚目。トンネルの中から、奥の2つのトンネルと笠岩を写している。

 

 

まずは、1枚目と3枚目を比較してみよう。注目するのは、赤と緑の矢印で差した部分である。 

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赤矢印で差した部分、岩に水平よりやや右肩下がりの線が何本も入っているのが見て取れるだろう。

緑矢印で差した部分だが、トンネルの覆工の更に外側に、三角形型に白っぽい岩石があるのがわかる。

これらの特徴は、今でも残っている(塩谷 - 北海道 トンネルwiki (morigen.net))。

この2つの共通点より、1枚目と3枚目は同じ場所から撮った写真であると考えられる。

 

 

次に2枚目の写真だが、

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一番手前に”右カーブ”しているトンネル、次に直線のトンネルがきて、わずかに左に折れながら3つ目のトンネルまで見通せる。そして、一番手前のトンネル右横に、先ほどの2枚の写真の特徴がないことから、それらとこの写真は別の場所であると言える。

さて、奥の2つのトンネルだが、似た構図を以前に出している。

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 この写真を覚えているだろうか。「その5」で取り上げた、旧・塩谷トンネルの延伸工事の際の写真で、桃内4号トンネルとの分岐地点を撮ったものだ。ここで見えている桃内4号トンネルとその奥の5号トンネルの位置関係は、先ほどの写真での奥の2つのトンネルの位置関係とそっくりに見える。

また、覆工の有無とトンネルの延長からも考えることができる。桃内6号トンネルは素掘りであったと先に述べたが、そこから考えると、2枚目の写真の3つのトンネルの組み合わせは、「1・2・3」「2・3・4」「3・4・5」号トンネルの何れかである。また、トンネル延長は1号から順に75m、40m、16m、56.5m、63.5m。最長は1号トンネルだが、どうみても一番手前より2番目の方が長いので「1・2・3」は却下。同じ理由で、「2・3・4」も却下。消去法で、「3・4・5」号トンネルと推定できる。

 

では、1枚目と3枚目の写真はどこか。

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3枚目の写真はトンネル内から撮られているから、被写体は号トンネルではありえない。また、前述の通り2枚目とは別の場所だから、号トンネルでもない。さらに、被写体のトンネルとその奥に見えているトンネルとの位置関係(右に曲がっている)からして、号トンネルでもない。号トンネルは素掘りだが、移っているトンネルはすべて覆工が施されていることから、号トンネルでも号トンネルでもない。となると、消去法で号トンネルとなる。この空間は、号トンネルと号トンネルの間の明かり区間である。

 

というわけで、小樽市総合博物館の方が見ていたらぜひこの考察について検討いただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で終われば訳はない。

先程、2号トンネルの延長は40mと書いた。それを踏まえてもう一度3枚目の写真を見ると

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いくら何でも40mとは思えない闇の長さではないか。それに、出口の形にも違和感がある。桃内X号トンネルで覆工を施されたものは、一番手前のもののように角のない形状をしている。しかし、

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このトンネルの出口は角が立っているように見える。そうだとすると、トンネル出口付近が”右カーブ”していることになる。”右カーブ”のトンネルと言えば・・・。

ここで、小樽市が所有しているトンネルの写真を発見した。「写真で見るこころの小樽――懐かしのふるさと150年」という、大量の古写真を使った郷土史的な写真集に、次の写真が収録されている。

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写真のコメントは一旦見ないふりをして、上の小樽市総合博物館所蔵のものと見比べてほしい。トンネルアーチの上の岩のはみ出し、その直下のアーチの欠け、トンネル右横の岩の斜め模様まで、同一と言って間違いないだろう。この写真は、間違いなく2号トンネルである。

さて、この写真だが、

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赤丸のところ、すでに次の明かり区間が見えている。同一のトンネルを写したはずなのに、こちらのトンネルはやけに短く見えるではないか。これなら40mにも見える。

 

ここから考えられることは何か。実は桃内1号と2号の間の明かり区間は、後年コンクリートで巻立てられ覆道化したという情報がある。

【廃道調査の旅】到達不可能な廃トンネルの撮影に成功!北海道小樽市祝津~忍路に眠る廃道を巡る The old road Drone video 4K UHD - YouTube

それが本当は、2号と3号の間の明かり区間のことなのではないか。2枚目の写真を見ると、3号トンネルを撮影しているのは2号トンネルの中なのではと思わせるように、写真の一番右に岩がせり出している(赤矢印)。トンネル同士、かなり接近していたのではないか。撮影場所が2号トンネルの内部なのであれば、1号と2号の明かり区間よりも2号と3号のそれはかなり短く、覆道化も容易だろう。

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もちろん、2号と3号の明かり区間だけでなく、1号と2号の明かり区間も覆道化された可能性はある。この辺りは新しい資料が出てこないと如何とも断定しえない。しかし、2号と3号が覆道で連結されたと考えると、40mとは思えない長さも説明できるし、”右カーブ”のトンネルの正体は、”2号トンネルと連結された3号トンネル”だと判断できる。

 

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もうひとつ、笠岩と奥の半島の見え方から撮影地を推測したのが上の図である。

赤線が2枚目の写真の見え方で、笠岩の南側に忍路半島の先端が見えている。

青線は1枚目の写真の見え方で、笠岩と7号トンネルが貫く半島が重なって見えている。

もっとも、特に2号・3号トンネルの位置が推測に過ぎないことから、この図が撮影地を100%証明するわけではないが、1号トンネル札幌側坑口や黄色線の旧塩谷トンネル中間部との位置関係、トンネルの長さからこれ以外の位置が考え難いのも事実である。

 

 

最後に、小樽市所蔵の写真で、説明文が「桃内4号トンネル内から桃内5号トンネルを見たところ」となっているが、これは明らかな間違いである。写真右側に笠岩が写っているが、笠岩は4号トンネル函館側坑口の真横くらいにあるので、4号トンネルから撮った写真にあのように写り込むのは(加工を除けば)ありえない。

ということで、現在推測できるのはここまでである。