国道5号余市札幌間 張碓峠旧道 その2

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軍事道路・銭函~初代張碓橋間

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紫が軍事道路

前回書いた通り、軍事道路の初代張碓橋から先に通りぬけることはできないらしい。今回は余市のほうまで行きたいので、長距離の盲腸往復は回避したい。それに、銭函から初代張碓橋の区間は現在でも生活道路であり、ネット上で通ったという人も見かけなかった(張碓橋から先は多くの人が行っている)。なので、軍事道路に関してはこの区間だけを見てゆく。 

といっても、誰もネットに上げないくらいだからほとんど何もないのだが。

 

A地点

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什橋

A地点には橋が架かっている。左の親柱に「什橋」とあるが、右の親柱が盛大に破壊されていて、あるべき銘板がなくなっている。確かに狭い橋だが、右ハンドルの国でなぜ右の親柱にぶつかるのだろうか。

この橋は銭函川をまたいでいる。現在の国道の橋の名前は「銭函橋」で、ここの町内会は「沢町」。跨ぐ川は「銭函川」である。どこにも「什」の字は出てこないが、どこかから数えて十番目に当たるのだろうか。銘板がなく竣工年はわからないが、戦前までは遡らないと思う。軍事道路にもここに橋が架かっていたはずだが、同じ橋ではないだろう。橋の前後は急カーブと急勾配で、早くもこの道が廃れた原因を見せつけられた。

 

B地点

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奥に小さく見えるのが「礼文塚橋」。竣工年不明
写真ではわかりにくいが今いるところは8%はありそうな下り坂。

この区間では銭函川と礼文塚川を横切っており、礼文塚川に架かる橋が「礼文塚橋」である。現道の橋はたしか「春香橋」だったか。このあたりは小樽市春香町である。

全体的に生活道路であり、住宅街では二車線確保されているが、先ほどの「什橋」と、B地点に架かる「礼文塚橋」の前後は、急勾配・急カーブ・狭区間の三重苦だ。橋を短くするためか、毎度のように沢に向かってかなり高度を下げ、一気に登る。

この坂を上り切ると、まあまあ歴史を感じる石柱がぽつんと残されていた。

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逓信省」「地下線」と彫ってある。

逓信省」という名は、1885(明治18)年から1943(昭和18)年までと、1946年から3年間使われた。現在のNTTの前身のような国の組織だった。一時は鉄道も管轄だったが、ここでいう「地下線」は地下鉄ではなく、電話線か電気線の類だろう。字が驚くほどくっきり残っており、とても雨ざらしにされているようには見えないが、戦後の存続期間の短さを考えるとおそらく戦前設置の物だろう。80年以上前の物であろうが、民家の玄関横に何の飾り気もなく立っている。

 

C地点

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C地点の少し札幌寄り、現国道と分岐した軍事道路からは海がよく見える。これじゃあ露助からも丸見えじゃないか。

 

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地にはいつくばって峠を目指す軍事道路。上空では馬鹿でかい橋が張碓の谷を一跨ぎに通過している。札樽道張碓大橋は上路式トラス橋(たぶん)。晴天だと赤がよく映えると思う。

そして、上の写真の真ん中にある丸い木の袂に、二つ目の石柱を見つけた。

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横書きで「同軸」、縦書きで「曲点2.0」、左面には円に横棒が刺さったような図案が彫られている(右図)。このマーク、どこかで見た気がしないでもないが思い出せない。そして、いくら調べても「同軸」や「曲点2.0」ではヒットせず、この石柱の正体は謎だ。水準点とかがあった記録はない。字体が角ばっており、戦前のものという感じはしないが、それくらいしかわからない。

 

(2020.12.10追記)

電電公社のマーク。よく札幌市内のマンホールでも見るのに、全く注意が向いていなかった。

(追記終)

 

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高速をくぐってゆるやかに登っていくと、現国道をくぐるボックスカルバートがある。現道は何度も通っているが、今の今までこんなものがあるとは知らなかった。

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しかもこれがなかなか変なやつで、片側だけ手すりがついている。歩道があるならともかく、車道トンネルやボックスカルバートで手すりの存在する意味が分からない。冬に歩行者が滑らないように?

これを抜けた先で、「旧」国道と合流(交差)する。

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紫:軍事道路(たどってきた道) 赤:昭和9年国道 橙:現国道 奥の橋は札樽道

ここからは、札樽四代の道が一望できる(さすがに海沿いの初代道路は見えない)。

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紫:軍事道路 赤:昭和9年国道

この交差点から先、軍事道路はすぐに未舗装となり、本来の張碓峠に向かう。

今回軍事道路をたどるのはここまでで、ここからは昭和9年にできた国道を伝って朝里・小樽に抜ける。

 

続く

 

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