稚内駅の距離看板 その3

前回

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完全にタイトル詐欺化している気がするが継続する。

本州

本州内はルート候補がたくさんあるが、姫路以西は山陽新幹線一択である。ほかに、山陰本線経由が考えられるが、和田山駅から新山口駅まで、山陰本線山口線で489.4㎞に対し、播但線山陽本線(新幹線・岩徳線経由ですらない)経由で470.1㎞であり、勝ち目はない。

岡山駅新倉敷駅間のみ山陽本線経由の方が短い。それ以外は新幹線の実キロで計算する。

姫路駅(75.0㎞)岡山駅(25.2㎞)新倉敷駅(290.4㎞)新下関駅=390.6㎞

 

では、新青森駅から姫路駅までのルートを考える。

この区間は、大まかに以下の地図のようなルートがありうる。

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まず、

東北新幹線東海道新幹線という、看板通りのルート(赤線)・・・東北・東海道ルートと呼ぶ

日本海沿いに奥羽・羽越本線北陸新幹線・本線~小浜線と進むルート(青線)・・・日本海ルートと呼ぶ。

そして、日本海ルートから東北・東海道ルートに抜けるものとして、

③秋田から福島までを奥羽本線水色線

④新潟から首都圏までを上越新幹線黄緑線

⑤長野から愛知までを中央本線緑線

敦賀から京都までを湖西線橙線

さらに、名阪間のより直線的ルートとして、

関西本線黄色

また、大都市内等では細かいルートの違いがありうる(例えば、新発田駅長岡駅を新津駅経由とするか、新潟駅経由とするか)が、それらは別に検討する。とりあえずは、以上の7ルートが骨格となろう。

では、東北・東海道ルートを見る。東北新幹線東海道新幹線山陽新幹線のうち、並行在来線営業キロの方が短いのは、盛岡駅北上駅、大宮駅~上野駅米原駅新大阪駅の3区間である。

新青森駅(178.4㎞)盛岡駅(47.8㎞)北上駅(417.3㎞)大宮駅(26.7㎞)上野駅(3.6㎞)東京駅(408.2㎞)米原駅(106.7㎞)新大阪駅(85.9㎞)姫路駅=1274.6㎞

 

次に日本海ルート。まずは新発田駅まで検討する。

新青森駅(181.9㎞)秋田駅(245.7㎞)新発田駅=427.6㎞

新発田駅から長岡駅までは、先述のように①羽越本線~新津駅~信越本線経由、②白新線新潟駅上越新幹線経由の二つが候補となる。

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新発田駅(26.0㎞)新津駅(48.1㎞)長岡駅=74.1㎞

新発田駅(27.3㎞)新潟駅(55.7㎞)長岡駅=83.0㎞

というわけで、ここは①の方が短い。

北陸新幹線開業の影響で、本記事のルールでは直江津駅から西や南にはJR線では進めなくなってしまったので、北陸新幹線に到達するには飯山線を経由する必要がある。

長岡駅(3.0㎞)宮内駅(19.8㎞)越後川口駅(77.5㎞)飯山駅(198.2㎞)金沢駅(130.7㎞)敦賀駅=429.2㎞

仮にえちごトキめき鉄道日本海ヒスイラインを経由できていたら、同区間は374.1㎞となり約50㎞短縮できていた。この差は大きい。

さて、敦賀駅から姫路駅までは3ルートが候補になる。①小浜線舞鶴線山陰本線播但線、②湖西線山科駅から東北・東海道ルートに合流、③福知山駅から福知山線加古川線加古川駅から東北・東海道ルートに合流、である。②は、最初の地図での⑥橙線にあたる。

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敦賀駅(84.3㎞)東舞鶴駅(26.4㎞)綾部駅(42.8㎞)和田山駅(65.7㎞)姫路駅=219.2㎞

敦賀駅(14.5㎞)近江塩津駅(74.1㎞)山科駅(44.5㎞)新大阪駅(85.9㎞)姫路駅=219.0㎞

敦賀駅(84.3㎞)東舞鶴駅(26.4㎞)綾部駅(12.3㎞)福知山駅(33.5㎞)谷川駅(48.5㎞)加古川駅(15.7㎞)姫路駅=220.7㎞

僅差だが、湖西線ルートが最短となった。山陽新幹線がなかったら224.8㎞だったので、一気に最下位転落だった。新幹線は強い。

さて、これで日本海ルートの最短が出た。新青森駅から新津駅、飯山駅金沢駅湖西線を経由して姫路駅までの距離は、

427.6㎞+74.1㎞+429.2㎞+219.0㎞=1149.9㎞

東北・東海道ルートに124.7㎞の大差をつけての勝利である。

この時点で、奥羽本線経由の水色線、新潟から首都圏まで抜ける黄緑線の検討価値はなくなった。一応結果だけ書くと、新青森駅から福島駅まで東北・東海道ルートで419.7㎞に対し、秋田駅奥羽本線経由の水色線は480.6㎞、新青森駅から小田原駅まで東北・東海道ルートが750.5㎞に対し、新津駅~長岡駅上越新幹線八高線~相模線経由(東京駅経由よりも八高線経由の方が短い)の黄緑線は802.0㎞。どちらも勝負にならない。これは、対東京駅で見ても同じである。

ここで、東京駅までの距離が確定した。函館駅までの678.9㎞から、新函館北斗駅函館駅分の17.9㎞を引き、北海道新幹線148.8㎞を足し、さらに東京駅までの最短経路である東北・東海道ルート673.8㎞をあわせて、東京駅までの距離は1483.6㎞である。看板の距離1574.5㎞よりも90.9㎞短くなった

 

 

次は、東北・東海道ルートのショートカットルートとなる可能性のある、名古屋駅から関西本線経由の黄色ルートの検討をする。着駅は、以西が山陽新幹線一択となる西明石駅とする。この間、大阪市を経由するのでルート候補も多くなる。そのため、細かく潰していく。その前に、草津線経由の可能性を消す。

名古屋駅(66.2㎞)米原駅(45.5㎞)草津駅=111.7㎞

名古屋駅(79.9㎞)柘植駅(36.7㎞)草津駅=116.6㎞

草津線が最短とならない以上、関西本線で木津駅までは出る必要がある。

名古屋駅(126.9㎞)木津駅

また、一度大阪駅に着いた場合、①新大阪駅から山陽新幹線経由よりも、②そのまま在来線を進む方が距離は短くなる。

大阪駅(3.8㎞)新大阪駅(54.8㎞)西明石駅=58.6㎞

大阪駅(33.1㎞)神戸駅(22.8㎞)西明石駅=55.9㎞

以上を前提に考える。

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最初に、木津駅から京橋駅までの経路を考えると、①関西本線大阪環状線内回り(青線)、②関西本線おおさか東線片町線)、③片町線赤線)、の三通りがある。

①木津駅(44.5㎞)天王寺駅(6.5㎞)京橋駅=51.0㎞

②木津駅(37.4㎞)久宝寺駅(9.2㎞)放出駅(3.2㎞)京橋駅=49.8㎞

③木津駅(44.8㎞)京橋駅

次に、京橋駅から尼崎駅を経由して西明石駅までは、①大阪環状線内回り~東海道本線、②JR東西線東海道本線の二通りがある。

京橋駅(4.2㎞)大阪駅(55.9㎞)西明石駅=60.1㎞

京橋駅(12.5㎞)尼崎駅(48.2㎞)西明石駅=60.7㎞

したがって、木津駅から西明石駅までの「在来線のみ」での最短は、片町線大阪駅経由で

44.8㎞+60.1㎞=104.9㎞

となる。これを、おおさか東線新大阪駅山陽新幹線経由(水色線)と比較すると、

木津駅(43.2㎞)鴫野駅(9.4㎞)新大阪駅(54.8㎞)西明石駅=107.4㎞

であり、在来線経由の方が短い。

以上より、名古屋駅から関西本線経由での西明石駅までの最短距離は、

126.9㎞+104.9㎞=231.8㎞

となる。

では、これは東海道ルートに勝っているのか。東海道ルートの距離は、

名古屋駅(66.2㎞)米原駅(106.7㎞)新大阪駅(54.8㎞)西明石駅=227.7㎞

残念。関ヶ原に大回りしていると言われる東海道新幹線だが、実キロで見ると、より直線的に見える関西本線経由でもわずかに及ばなかった。これ以上に東北・東海道ルートでショートカットしうる路線はないため、ここでこちらのルートは脱落である。

 

東北・東海道ルートの勝利が消滅したところで、最後に残った、飯山駅から名古屋駅中央本線経由で抜けるルート(緑線)を検証する。新青森駅から飯山駅までの距離は602.0㎞、名古屋駅から西明石駅までは227.7㎞、西明石駅から姫路駅までは31.1㎞である。暫定最短の日本海ルートが1149.9㎞なので、飯山駅から名古屋駅までが289.1㎞以下であれば、このルートが最短と言うことになる。

飯山駅(29.9㎞)長野駅(9.3㎞)篠ノ井駅(66.7㎞)塩尻駅(174.8㎞)名古屋駅=280.7㎞

ということで、8.4㎞差で中央本線経由の方が短いという結果になった。

しかし、これで終わりではない。このルート(中央本線ルート)、さらに短くできる。

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中央本線多治見駅から先、県都名古屋に向かうために南西に進路を取る。そのため、多治見駅から米原駅で見ると、①大きく南に迂回した経路となっている。そこで、②多治見駅から太多線高山本線東海道本線とつなぐと、

多治見駅(32.9㎞)金山駅(3.3㎞)名古屋駅(66.2㎞)米原駅=102.4㎞

多治見駅(17.8㎞)美濃太田駅(27.3㎞)岐阜駅(49.6㎞)米原駅=94.7㎞

となり、さらに7.7㎞短くなる。これが、真の最短経路になる。

 

 

以上まとめると、新青森駅から新下関駅の経路は以下のようになる。

新青森駅奥羽本線羽越本線信越本線上越線飯山線飯山駅北陸新幹線長野駅信越本線篠ノ井線中央本線太多線高山本線東海道本線新大阪駅山陽新幹線岡山駅山陽本線新倉敷駅山陽新幹線新下関駅

そして、その距離は、

新青森駅飯山駅=602.0㎞

飯山駅多治見駅=244.5㎞

多治見駅米原駅=94.7㎞

米原駅~姫路駅=192.6㎞

姫路駅~新下関駅=390.6㎞

したがって、1524.4㎞となる。

これに、新青森駅までの809.8㎞と、新下関駅から鹿児島中央駅までの331.6㎞を足すと、指宿枕崎線各駅までの距離も出せる。指宿駅までの距離は2711.5㎞、西大山駅までの距離は2722.5㎞、枕崎駅までの距離は2753.6㎞で、看板の距離よりもそれぞれ372.5㎞短くなった

ちなみに、この経路で実キロを用いない場合は2856.7㎞、切符を発券した場合、運賃計算キロは2908.1㎞となり、運賃は28600円、16日間有効となる。所要時間は臨時列車の有無や平日土休日でも変わるが、2泊は必要で計56時間以上と思われる。経路上絶対に新幹線に乗る必要がある新函館北斗駅新青森駅飯山駅長野駅以外を普通列車のみでつなぐと、5日目の指宿枕崎線始発で枕崎駅に到着できるようである。この二つの新幹線の料金は最低で計4880円なので、この切符の旅行は33440円+宿等あればできる。最長片道切符が10000㎞以上で90000円以上はすることから考えれば、少し趣向を変えたこの切符はお手軽ではないだろうか。というより、YouTubersの「最長片道切符がすごすぎた!!」的なのに飽き飽きしてるので、彼らには少しひねったものを考えてほしい次第である。

 

 

最後に、今後の新線開業で、ルートが変わりうるか考えてみる。

直近で関係する新幹線開業が、北陸新幹線敦賀延伸である。これにより、金沢駅敦賀駅が5.6㎞短縮となる。現状、日本海ルートは中央本線太多線ルートよりも16.1㎞長いので、これでは逆転しえない。ただし、京都・大阪までの延伸時に、湖西線経由より10.5㎞以上短縮できると、こちらが最短となる。ルートは決定していないものの、東小浜駅付近~京都駅が限りなく直線に近い場合には、可能性は残されている。

次が、2027年予定の中央新幹線である。所要時間もさることながら、品川駅~名古屋駅で49.6㎞短縮される計画である。しかし、東北・東海道ルートは日本海ルートにすら100㎞以上の差で負けているので、これも変化はない。その後、新大阪駅延伸でも合計で70.0㎞の短縮にとどまるので、変化はない。

2031年北海道新幹線幌延伸により、新函館北斗駅小樽駅~札幌駅は56.9㎞短縮される。これにより、函館駅までの距離では次のようになる。

稚内駅(259.4㎞)旭川駅(136.8㎞)札幌駅(211.5㎞)新函館北斗駅(17.9㎞)函館駅=625.6㎞

前回求めた距離(室蘭本線経由で678.9㎞)よりもさらに53.3㎞短縮される。東京駅以南でも同じ距離が減算される。

なにわ筋線は、北梅田駅(仮)~JR難波駅間3.9㎞の予定である。木津駅~天王寺駅JR難波駅が48.0㎞であり、木津駅~片町線大阪駅が49.0㎞なので、なにわ筋線開業も影響はない。

羽越新幹線上越妙高駅長岡駅は、柏崎駅経由で75.3㎞が想定されている。この場合、両駅間では54.6㎞の短縮となる(長岡駅飯山駅では飯山線経由が最短のまま。)。これが実現すると、北陸新幹線京都延伸を待たずして北陸新幹線経由が最短となる。

稚内駅の距離看板 その2

前回

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稚内駅の距離看板は、「営業キロ」を基準として、主要列車の経路で算定された数値だということは前回のないようである。今回は、「実キロ」かつ、考えうるすべての経路で、旭川駅以下7駅までの「本当の距離」を算出する。

ルールは以下のとおりである。

①実キロを用いる。

 簡潔に「実キロ」について述べる。東海道新幹線は静岡駅~掛川駅では、実際には43.9㎞を走っている。しかし、運賃計算の際には、並行する在来線である東海道本線営業キロである49.1㎞を用いる。新幹線は在来線に比べて直線的に線路が敷かれているため、ほとんどの区間では実キロは営業キロより短くなる。今回は、「本当の距離」を求めたいので、新幹線については実キロを用いる。もちろん、営業キロの方が短い場合はそちらを用いる。有名な例では、上越新幹線大宮駅~熊谷駅は、新幹線の実キロ36.6㎞に対して、より直線的な高崎線営業キロが34.4㎞であり、営業キロの方が短い(上越新幹線伊奈町まで東北新幹線と並行するため)。この場合は高崎線営業キロを用いる。

②JR線のみを用い、通過連絡運輸が設定されていても私鉄・三セク等は経由しない。

 整備新幹線の分離並行在来線は、多くが通過連絡運輸を設定しており、切符としては容易に経路に組み込むことができる。しかし、現行の距離看板がそれらを経由していない以上、そこはJR線に限るべきと考えた。特急「しらゆき」のような新幹線連絡特急であっても、直江津駅からえちごトキめき鉄道を経由する以上、今回は用いない。

奥津軽いまべつ駅津軽二股駅は別駅である。

④BRTは在来線として考える。

⑤災害休止中の路線は経由可能とする。

函館本線藤城支線のように、営業キロの設定がない路線は経由しない。

 

では、実際にやっていこう。

北海道

旭川駅、札幌駅までの距離には、選択の余地がない。現行の距離看板が最短距離である。

函館駅までの経路候補も2つしかない。①宗谷本線~函館本線、②岩見沢駅から長万部駅までを室蘭本線、である。

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稚内駅(259.4㎞)旭川駅(423.1㎞)函館駅=682.5㎞

稚内駅(259.4㎞)旭川駅(96.2㎞)岩見沢駅(211.0㎞)長万部駅(112.3㎞)函館駅=678.9㎞

よって、函館駅までは②の室蘭本線経由が最短となる。函館駅までの距離は678.9㎞である。看板の距離703.3㎞よりも24.4㎞短くなった

 

九州(新下関駅~)

本州は後回しにする。九州へは、まず入り方が①新下関駅から山陽新幹線、②山陽本線門司駅経由、で小倉駅に至る2通りある(おそらく本州内で山陰本線経由が最短になることはないので、そちらは省略)。①は実キロとなる。

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新下関駅(20.7㎞)小倉駅

新下関駅(13.5㎞)門司駅(5.5㎞)小倉駅

この区間は、在来線経由の方が短い区間である。

 

 

次に、小倉駅から久留米駅までを考える。①新幹線、②鹿児島本線、③折尾駅から原田駅まで筑豊本線、④西小倉駅から原田駅まで日豊本線日田彦山線後藤寺線筑豊本線、⑤西小倉駅から原田駅まで日豊本線日田彦山線久大本線、が考えられる。桂川駅から原田駅までは、どう見ても筑豊本線経由の方が短いので、篠栗線は考慮しない。

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小倉駅(55.9㎞)博多駅(32.0㎞)久留米駅=87.9㎞

小倉駅(102.9㎞)久留米駅

小倉駅(19.1㎞)折尾駅(55.3㎞)原田駅(16.0㎞)久留米駅=90.4㎞

小倉駅(0.8㎞)西小倉駅(5.3㎞)城野駅(30.0㎞)田川後藤寺駅(13.3㎞)新飯塚駅(28.5㎞)原田駅(16.0㎞)久留米駅=93.9㎞

小倉駅(0.8㎞)西小倉駅(5.3㎞)城野駅(68.7㎞)夜明駅(39.1㎞)久留米駅=113.9㎞

新幹線の暴力を存分に感じられる区間かと思いきや、筑豊本線がかなり短絡線としての役目を果たしていることがわかる。それでも、この区間は新幹線の勝利である。

 

久留米駅から筑後船小屋駅は、営業キロ15.8㎞に対して実キロ15.9㎞であるが、そこから熊本駅までは新幹線が内陸をショートカットするため実キロの方が短い。熊本駅から新八代駅までは営業キロ32.9㎞に対して実キロ31.8㎞である。新八代駅から鹿児島中央駅までは新幹線の実キロ126.8㎞に対して、肥薩線だけでも124.2㎞なので、考えるまでもない。

ここまでをまとめると、新下関駅から鹿児島中央駅までは以下のようになる。

新下関駅(19.0㎞)小倉駅(87.9㎞)久留米駅(15.8㎞)筑後船小屋駅(208.9㎞)鹿児島中央駅=331.6㎞

このほかに、西小倉駅から①日豊本線、②日豊本線豊肥本線、が考えられるが、①は400㎞越え、②も熊本駅の時点で300㎞近くになるので、検討の余地はない。

鹿児島中央駅から先は指宿枕崎線しか選択肢がないので、九州内の距離は確定した。次回、本州内を検討後に最短距離を算出する。

 

つづき

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稚内駅の距離看板 その1

稚内駅には、以下のように7駅からの距離を示した看板がある。(Wikiには鹿児島駅からの距離標もあると書いてあるが、見た覚えもないし検索しても出てこない。)

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宗谷本線稚内駅 枕崎と友好結ぶ日本最北端の駅 - タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌- (fc2.com)より。撮影日は2016年9月2日とある。あと一駅は函館駅(703.3km)。)

この看板の距離は、いったいどのようにはじき出されているのか、気になったので考えた。

まず、直線距離ではありえない。稚内から3000㎞もあれば、北は北極海から南はマリアナ諸島まで到達してしまうから、指宿枕崎線の3駅が遠すぎることになってしまう。普通に考えれば、路線の距離だろう。宗谷本線は旭川駅を起点とし、終点稚内駅まで259.4㎞の路線であるから、看板の数字と一致する。札幌駅~旭川駅間は函館本線で136.8㎞だから、宗谷本線と合わせて札幌駅~稚内駅間は396.2㎞、これも看板と一致する。ここまでは順調だ。

しかし次、函館駅は問題である。距離は703.3㎞となっているが、函館駅から函館本線・宗谷本線経由で稚内駅までは、函館本線が423.1㎞なので計685.2㎞である。最短距離はこれではなく、長万部駅から岩見沢駅まで室蘭本線経由で、678.9㎞となる。どちらも看板の数字から20㎞近く短い。

では何が考えられるか。ひとつ前の看板の地点を経由することが条件だと考えてみる。函館駅から函館本線室蘭本線千歳線経由で札幌駅までの距離は318.7㎞なので、稚内駅までの距離は計714.9㎞となる。今度は約10㎞長くなってしまった。

さて、切符に詳しければこれで分かったかもしれない。上記の経路では、札幌駅から、函館本線千歳線の分岐駅である白石駅までの経路が重複しているのである。つまり、この切符を普通に発券してもらうときは、

 「函館駅長万部駅沼ノ端駅白石駅旭川駅稚内駅」

となり、札幌駅を経由しない。札幌駅には、このように函館本線旭川方面と千歳線を乗り継ぐ切符では、途中下車時に白石駅~札幌駅の料金精算が必要という注意書きがいくつかある。ということで、「函館駅長万部駅沼ノ端駅白石駅旭川駅稚内駅」の切符の距離がどうなるかというと、714.9㎞から札幌駅~白石駅5.8㎞の往復分を差し引いて、703.3㎞。これで看板の距離と一致した。

次は東京駅だが、新幹線経由で東京駅から新函館北斗駅まで、営業キロで862.5㎞(東京駅~盛岡駅535.3㎞+盛岡駅新函館北斗駅327.2㎞)、これに上記の函館駅までの距離を足したうえで、函館駅から新函館北斗駅までの17.9㎞を差し引くと、862.5㎞+703.3㎞-17.9㎞=1547.9㎞。これもちょうどだ。

次は指宿駅。東京駅から指宿駅までの距離は、

 東海道本線(東京駅~神戸駅)589.5㎞+山陽本線神戸駅門司駅)534.4㎞+鹿児島本線門司駅新八代駅)224.0㎞+九州新幹線新八代駅川内駅)91.5㎞+鹿児島本線川内駅鹿児島中央駅)46.1㎞+指宿枕崎線鹿児島中央駅指宿駅)45.7㎞=1531.2㎞

これに東京駅から稚内駅までの1547.9㎞を足すと、3079.1㎞。看板の数字(3057.4㎞)より21.7㎞長い。

ここで、所謂「岩徳線ルール」を考える。山陽本線岩国駅櫛ケ浜駅65.4㎞を通過する切符は、内陸を通る岩徳線43.7㎞経由として運賃計算するルールがある。これを適用すると、65.4㎞-43.7㎞=21.7㎞減らせる。これで、指宿駅までの距離も合致する。。

さらに、指宿駅から西大山駅までは11.0㎞、指宿駅から枕崎駅までは42.1㎞なので、これらを足した数字も看板と一致する。

 

さて、なぜ本ブログでこれを取り上げたのかと言うと、この距離看板は掛け替えられているからである。

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宗谷本線往復旅2011(その7:稚内駅・防波堤ドーム) - 【改装中】切符、食、時々長旅。@はてな (hatenablog.com)より。撮影日は2011年9月18日とある。)

いつからこの看板を掛けるようになったのかは知らないのだが、遅くとも2011年9月にはあったことがこれで確認できる。そして、東京以遠の距離が、2016年撮影のものよりも26.6㎞短くなっていることがわかる。

この距離の差は何か。それは、2016年3月26日の北海道新幹線部分開業によるものである。これ以前、新青森駅新函館北斗駅(当時は渡島大野駅)の経路と距離は以下のようであった。

 新青森駅奥羽本線3.9㎞)青森駅津軽線31.4㎞)中小国駅(海峡線87.8㎞)木古内駅江差線37.8㎞)五稜郭駅函館本線14.5㎞)渡島大野駅 計175.4㎞

それが、新幹線開業により、以下のようになる。

 新青森駅北海道新幹線148.8㎞)新函館北斗駅

175.4㎞-148.8㎞=26.6㎞

この距離はJR線のみから算出しているのがここからもわかるので、この看板の数字はある意味記録なのである。

 

ところで、この経路、何を基準にしているのだろうか。札幌駅までは特急「宗谷」、そこから函館駅までは特急「北斗」、新函館北斗駅で乗り換えて東京駅までは「はやぶさ」、そこからは「のぞみ」「みずほ」と指宿枕崎線だろう。JR線だけを経由している=並行在来線を使っていないこともわかる。そして、既述の通り営業キロ(/=実キロ・換算キロ等)を用いている。

しかし、普通に考えれば、青森から山口の最短経路は日本海経由になるのではないか。あるいは、実キロで考えると東京(太平洋)経由の方が短いのか。

そこで、次は「各駅からの本当の距離」はいくつなのかについて考える。

 

つづき

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宗谷本線はどうなるのか その2

前回

t93108.hatenablog.com

 

 

 

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前回と同じく、緑が21年改正での廃止駅、赤が自治体管理駅、青がJR管理継続駅である。南線と比べ、圧倒的に赤が多い。ひとまず緑を消してみると、

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26駅中15駅が赤駅である。

乗車人員数も見てみる。

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21年改正前には、1日に1人以下の駅がほぼ半分を占めていた。こんな駅を残して、各自治体はどうするつもりなのか、全く見当もつかない。

さて、JRが戦力外通告した15駅も無くして見てみる。

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随分とすっきりしたものだ。音威子府村、中川町、幌延町、豊富町の3町1村は各自治体1駅、名寄市美深町は2駅、稚内市は3駅。最長駅間は天塩中川から幌延までの37.5km、平均駅間は18.32km。九州新幹線の2011年開業区間(博多~新八代)が、最長駅間31.8km(熊本~新八代)、平均駅間18.57kmであり、なんと宗谷北線の「生きている駅」は新幹線と同程度の距離を走らないと出てこないということである。

コロナ前の運行本数も確認しておく(特急以外は現在も変わっていない)。

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もっとも本数の少ない音威子府幌延間は、1日に上下合わせて12本である。これだけ本数を減らしてもなお赤字というのが、救いようのなさを表している。この区間にある中川町は、高速バスすら停まらない(音威子府村旭川~枝幸方面、幌延町は留萌~豊富方面のバスがある)。根本的に旅客需要がないのだろう。

 

 

さて、宗谷本線は、南区間はまだ多少の需要はありそうであるが、北区間は駅利用数、列車本数どちらからも絶望しか伝わってこない。こうなったらよっぽど思い切った策が必要ではないだろうか。例えば、「全列車急行化」である。

まず、赤駅を全部廃止してしまう(これはいずれそうなるだろう)。すると、現在特急が停車しない駅で存続するのは、名寄市の智恵文駅、美深町の初野駅、稚内市の勇知駅の3つだけになる。そしたら、全列車を全駅に止めたうえで、種別を急行にしてしまう。さすがに特急では料金が高いのと、定期急行復活と銘打てば集まる人は集まるという算段である。沿線住民には、現在も行っている10円料金券を「自治体の差額負担で」配布なり販売なりすればいい。この差額をJRが持っていては赤字は埋まらない。鉄道を残したいなら自治体も金銭で協力しなければなるまい。

車両は、現在のキハ261系などという贅沢品は必要ない。H100系が宗谷北線に入線できるならば、それに座席番号を付けれて1~2両も繋げれば十分である。立席急行券と称して自由席料金でも販売すれば詰込みにも対応できる。どうしても需要が旺盛なシーズンは、1~2往復程度を臨時特急として運転し、キハ261系5000番台を充てればよい。そのための車両なのだから。

全列車急行だからといって、青春18特例なども設けてはならない。とにかく取れるところからきっちり取る必要がある。それでも黒字になるはずはない。もはやそんなレベルではない。せいぜい数年の延命が限度だろう。

 

まあ妄想なので何とでも言えるわけであるが、仮にH100系が北線に入れない事情があるならば、キハ54引退をもって北線の普通列車運行は終了だろう(さすがに40はもういないはず)。わざわざ大赤字路線にあわせて特殊形式をつくるような余裕をかましているほどJRの財政は甘くない(北海道新幹線が大成功すれば別だが、東京まで4時間を切れるならともかく、この大地で新幹線安泰論は通用しないだろう)。途中駅全廃止・キハ261統一で全特急化・青春18特例なしで10年程度生き延び、キハ261系基本番台の廃車とともに名寄以北全廃がいいところではないだろうか。「宗谷本線はどうなるのか」と聞かれれば、「(国や自治体が巨額を出すなら別として、)少なくとも北線はそのうち廃止」で違いないだろう。

 

終わり

八剣山トンネル旧道 その2

前回

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ここは八剣山トンネルの東側、お手本のような新旧道の分岐点である。

旧道に行く前にトンネルを少し見ていく。

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どこにでもありそうな普通のトンネル坑口である。延長は左の看板にある通り、760mである

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はずなんだけどな~。

ちなみに反対側、トンネル西口の銘板には、「延長378.0m」と書かれており、合計すれば760mになるわけだが。特にトンネル内に特徴的な不連続があるわけでもなく、当然トンネル内分岐があったわけでもなく、なぜ銘板がこんなことになっているのかはまだ分かっていない。

 

閑話休題。旧道に戻る。

最初は何の変哲もない舗装路が200mほど続く。それを進むと、写真の分岐に出る。

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直進は舗装路、右への分岐路は未舗装ダートである。分岐には「→八剣山登山口」と看板がある。旧道は登山道入り口を経由するので、ここからはダートを進む。

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コメントに困るような、締まったダートを進む。途中で左に屈折しており、合計で300mほどで登山道入り口に到着する。

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右に見える建物は「八剣山小屋」と名付けられている。それ以外には特に何もない登山道入り口広場である。

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広場を通過し、「登山口」のアピールが見えると同時に、正面の封鎖が確認できる。あの柵から先が廃道だろう。

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遠目にはしっかり道をふさいでいるように思えた白い柵だったが、近づくと脇が甘いことがわかる。

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誰か(何か?)が継続的に通行しているようで、軽く跡ができている。

それはそうと、この通行止め標識だが、

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左下のものが古くなり何だかわからなくなったので、新しいものも設置したようである。ここがいつから通行止めなのかはわからないが、札幌市道路台帳で現役となっている以上は、一応この程度の管理はするということなのだろう。

 

さて、柵をすり抜け奥へ進む。

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やはり何者かが通行していることは間違いないようである。はっきりとシングルトラックが刻まれている。柵からまだ30mも来ていないが、すでに前方が明るい。

 

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特に遺構もなく、左に開けた場所に出た。写真真ん中あたりからは舗装がされており、ここまではトンネル開通後に廃道化工事がされたのかもしれない。

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割としっかりとした基礎もあり、厚さは30cm以上はあるだろうか、鉄筋が飛び出している箇所もあった。

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それに比して幅は狭い。ガードレールもなく右の限界も草に埋もれているため、どの程度あるのか判別し辛いが、軽自動車同士のすれ違いもできないだろう。左は斜度60度以上、高低差30mの崖で豊平川が迫っており、右は

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これもまた急斜面の岩場である。退避設備はなかっただろう。

そもそもがけ崩れに対する備え、例えばロックシェッドだったり防護柵だったりといったものが全くない。だからこんな大きな落石もど真ん中に転がっている。

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舗装はこの落石の先でがけ崩れに呑まれて見えなくなる。

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大量の落石の下敷きになっている。その先は、

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木で何が何だか分からないが、崩れてきた岩石によって完全に崖となっている。

 

一応高巻きをすれば通過できそうな岩場だったが、この崩れは全く安定していないと考えてここまでにした。というのも、このあたりの航空写真は2016年と2020年のものがあるのだが、その二つを見比べるとそう考えざるをえないからである。

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一枚目が2016年、二枚目が2020年のものである。崖そのものは緑に覆われてわかりずらいかも知れないが、川幅の狭まりようを見れば崩壊は明らかである。これを出発前に知っていたため、今回は通過はしないことにした。

というわけで、まだ反対側(西側)区間が残っているが、探索後に追記する。

 

(一旦終わり)

八剣山トンネル旧道 その1

f:id:t93108:20210804154418p:plain札幌市街地から南に延びる国道230号を辿ると、定山渓の手前右手に、八剣山がそびえるのが見える。

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群馬・妙義山のパチモンのような特徴的な山容だ。この山の直下を、札幌市の市道がトンネルで貫いており、これが八剣山トンネルである。

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このトンネルの存在自体は知っていたが、長いこと旧道があるとは思っていなかった。というのも、赤い星で示した地点からちょうど登山道が伸びており、トンネル東口で分岐する道はトンネル旧道ではなく登山道へのアクセス道路で、この区間はトンネル貫通まで不通区間だったと思い込んでいたからだ。

しかし、札幌市HPで八剣山トンネルを紹介する部分(八剣山トンネル/札幌市 (city.sapporo.jp))に、「がけ崩れによる現道の通行不通区間の解消を抜本的に解消するため」(屋上屋×2・・・)としっかり書いてあった。地理院の航空写真を見直してみると、

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赤線は現道である八剣山トンネルのおおよその位置

トンネルと川の間に、はっきりと道が見える。これは1960年代の写真だが、1985年頃の写真にも写っている。こんなにわかりやすいものを見逃していたとは驚きだ。

ほとんどの地図ではこの旧道は書かれていないが、札幌市の道路台帳ではしっかりと現役をしている。

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もちろん、現役時代から「通行不通区間」と書かれてしまうのだから、現在はしっかり廃道だろう。

 

つづき

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国道5号余市札幌間 塩谷・笠岩トンネル旧道 その7

前回 

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さて、去る2021年3月に新塩谷トンネルが開通し、塩谷・笠岩の両トンネルは供用廃止となった。ということで再訪したいのは山々だが、道内のコロナの状況が中々なのでそれはそのうち追記か、回を改める形とする。

 

再訪の前に、先日小樽市総合博物館がTwitterに挙げた以下の写真たちが、どのトンネルを写したものか考えてみる。

 改めて写真だけ取り出す。(○に矢印はPC版Twitterの仕様)

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 1枚目。小学校の遠足の写真だろうか。「とんねるをでたらこんないいけしき」というからには、撮影者や被写体の児童たちは既に一つ以上トンネルをくぐってきたと考えられよう。右は絶壁なのだが、恐れを知らない子ども達だ。

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2枚目。「FIVE VIEWS OF OTARU SUBURBS (小樽郊外)磯の香り鼻をつく塩谷海岸 (奇岩笠岩)」とのキャプション付き。奥に3つトンネルが見える。

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3枚目。トンネルの中から、奥の2つのトンネルと笠岩を写している。

 

 

まずは、1枚目と3枚目を比較してみよう。注目するのは、赤と緑の矢印で差した部分である。 

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赤矢印で差した部分、岩に水平よりやや右肩下がりの線が何本も入っているのが見て取れるだろう。

緑矢印で差した部分だが、トンネルの覆工の更に外側に、三角形型に白っぽい岩石があるのがわかる。

これらの特徴は、今でも残っている(塩谷 - 北海道 トンネルwiki (morigen.net))。

この2つの共通点より、1枚目と3枚目は同じ場所から撮った写真であると考えられる。

 

 

次に2枚目の写真だが、

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一番手前に”右カーブ”しているトンネル、次に直線のトンネルがきて、わずかに左に折れながら3つ目のトンネルまで見通せる。そして、一番手前のトンネル右横に、先ほどの2枚の写真の特徴がないことから、それらとこの写真は別の場所であると言える。

さて、奥の2つのトンネルだが、似た構図を以前に出している。

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 この写真を覚えているだろうか。「その5」で取り上げた、旧・塩谷トンネルの延伸工事の際の写真で、桃内4号トンネルとの分岐地点を撮ったものだ。ここで見えている桃内4号トンネルとその奥の5号トンネルの位置関係は、先ほどの写真での奥の2つのトンネルの位置関係とそっくりに見える。

また、覆工の有無とトンネルの延長からも考えることができる。桃内6号トンネルは素掘りであったと先に述べたが、そこから考えると、2枚目の写真の3つのトンネルの組み合わせは、「1・2・3」「2・3・4」「3・4・5」号トンネルの何れかである。また、トンネル延長は1号から順に75m、40m、16m、56.5m、63.5m。最長は1号トンネルだが、どうみても一番手前より2番目の方が長いので「1・2・3」は却下。同じ理由で、「2・3・4」も却下。消去法で、「3・4・5」号トンネルと推定できる。

 

では、1枚目と3枚目の写真はどこか。

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3枚目の写真はトンネル内から撮られているから、被写体は号トンネルではありえない。また、前述の通り2枚目とは別の場所だから、号トンネルでもない。さらに、被写体のトンネルとその奥に見えているトンネルとの位置関係(右に曲がっている)からして、号トンネルでもない。号トンネルは素掘りだが、移っているトンネルはすべて覆工が施されていることから、号トンネルでも号トンネルでもない。となると、消去法で号トンネルとなる。この空間は、号トンネルと号トンネルの間の明かり区間である。

 

というわけで、小樽市総合博物館の方が見ていたらぜひこの考察について検討いただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で終われば訳はない。

先程、2号トンネルの延長は40mと書いた。それを踏まえてもう一度3枚目の写真を見ると

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いくら何でも40mとは思えない闇の長さではないか。それに、出口の形にも違和感がある。桃内X号トンネルで覆工を施されたものは、一番手前のもののように角のない形状をしている。しかし、

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このトンネルの出口は角が立っているように見える。そうだとすると、トンネル出口付近が”右カーブ”していることになる。”右カーブ”のトンネルと言えば・・・。

ここで、小樽市が所有しているトンネルの写真を発見した。「写真で見るこころの小樽――懐かしのふるさと150年」という、大量の古写真を使った郷土史的な写真集に、次の写真が収録されている。

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写真のコメントは一旦見ないふりをして、上の小樽市総合博物館所蔵のものと見比べてほしい。トンネルアーチの上の岩のはみ出し、その直下のアーチの欠け、トンネル右横の岩の斜め模様まで、同一と言って間違いないだろう。この写真は、間違いなく2号トンネルである。

さて、この写真だが、

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赤丸のところ、すでに次の明かり区間が見えている。同一のトンネルを写したはずなのに、こちらのトンネルはやけに短く見えるではないか。これなら40mにも見える。

 

ここから考えられることは何か。実は桃内1号と2号の間の明かり区間は、後年コンクリートで巻立てられ覆道化したという情報がある。

【廃道調査の旅】到達不可能な廃トンネルの撮影に成功!北海道小樽市祝津~忍路に眠る廃道を巡る The old road Drone video 4K UHD - YouTube

それが本当は、2号と3号の間の明かり区間のことなのではないか。2枚目の写真を見ると、3号トンネルを撮影しているのは2号トンネルの中なのではと思わせるように、写真の一番右に岩がせり出している(赤矢印)。トンネル同士、かなり接近していたのではないか。撮影場所が2号トンネルの内部なのであれば、1号と2号の明かり区間よりも2号と3号のそれはかなり短く、覆道化も容易だろう。

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もちろん、2号と3号の明かり区間だけでなく、1号と2号の明かり区間も覆道化された可能性はある。この辺りは新しい資料が出てこないと如何とも断定しえない。しかし、2号と3号が覆道で連結されたと考えると、40mとは思えない長さも説明できるし、”右カーブ”のトンネルの正体は、”2号トンネルと連結された3号トンネル”だと判断できる。

 

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もうひとつ、笠岩と奥の半島の見え方から撮影地を推測したのが上の図である。

赤線が2枚目の写真の見え方で、笠岩の南側に忍路半島の先端が見えている。

青線は1枚目の写真の見え方で、笠岩と7号トンネルが貫く半島が重なって見えている。

もっとも、特に2号・3号トンネルの位置が推測に過ぎないことから、この図が撮影地を100%証明するわけではないが、1号トンネル札幌側坑口や黄色線の旧塩谷トンネル中間部との位置関係、トンネルの長さからこれ以外の位置が考え難いのも事実である。

 

 

最後に、小樽市所蔵の写真で、説明文が「桃内4号トンネル内から桃内5号トンネルを見たところ」となっているが、これは明らかな間違いである。写真右側に笠岩が写っているが、笠岩は4号トンネル函館側坑口の真横くらいにあるので、4号トンネルから撮った写真にあのように写り込むのは(加工を除けば)ありえない。

ということで、現在推測できるのはここまでである。